歌川広重 歌川広重は浮世絵師

歌川広重:浮世絵師…その2

絵師としての歌川広重浮世絵師の初期の作品は、その当時に流行しておった役者絵や美人絵がようけおたんやちうわけや。名所絵師として歌川広重浮世絵師が評価を得るようになりよったのは、歌川広重浮世絵師が35歳のときになるんや。東都名所(10枚揃い)を発表した歌川広重浮世絵師は、これを機に名所画、風景画をようけ描くようになりたんやちうわけや。
この翌年、歌川広重浮世絵師が36歳の時にかの有名な「東海道五十三次」ちう名所画の続き物を描き始めまんねん。この歌川広重浮世絵師の「東海道五十三次」の続き物は爆発的な人気を見せ、歌川広重浮世絵師の名所絵師としての地位を不動のものとしたんやちうわけや。
歌川広重浮世絵師が「東海道五十三次」を描き始めるきっかけとなりよったのが、徳川幕府が朝廷に駿馬を献上するねんために東海道を通って京まで行列するねんちう年中行事「八朔御馬献上」に同行したことや。歌川広重浮世絵師自身の東海道中の印象と写生をもと描かれた作品が「東海道五十三次」になるんや。